学習塾ブログ / 書は人なり

2018年11月08日

書は人なり

今回は自戒の念を込めて。

字の汚い人っています。
ノートを取っていても、あとで見返して何を書いたのか自分でも分からなくなる、とか。
計算の途中で3なのか5なのか、0なのか6なのか分からなくなってしまう、とか。
そんな経験のある人は、間違いなく「字が汚い(汚かった)人」です。

ところで、「字(名)は体を表す」とか「書は人なり」という格言があります。
雑な字を書く人は雑な人であったり、柔らかい字を書く人は大らかな人であったりする、という意味なのでしょうが、自分は少し違うと思っています。
「人が書いた字」は、結局誰のためにあるものでしょうか?
それは、もちろん「未来の自分」を含めた「他人」です。
その「他人」に対する思いやりだと思うのです。

身の周りに、「きれいな字を書く人だな」とか「自分もこういう字を書きたいな」と思わせるような友人や家族や先輩がいませんか?
そういう人は、きっと思いやりのある人だと思います。
だって、読んでいるあなたに憧れさせているのですから。

そして、悲しいかな。人間とは印象に大きく左右される生き物なのです。
例えば提出する作文や標語の類。
定期テストや入試での記述問題。
一言一句まったく同じ文章で書いても、点数化される段階で、差がつけられるのはしょうがないのです。
評価する側も、そういうことを分かっていて見ているのです。
だって、将来「評価されやすい人」を評価する訳ですからね。
「字の汚い人」は絶対に損をする訳です。

そういえば、以前ここにこんなブログを書きました。
「ていねいに」と「いいかげんに」
そう、きれいに書こうとは言っていない。
「ていねいに」書こうと言っている。

「字が汚い人」に当てはまった人へ。
せめて、一番の「他人」である「未来の自分」に思いやりをもって字を書こう。

小平教室 高橋