学習塾ブログ / 江戸時代の人の食事
江戸時代の人の食事
江戸時代の人は何を食べていたのだろうと思うことがある。時代劇にはそういう場面も出てくるけれどあんまりよく分かりませんね。そもそも江戸時代は世界的に小氷期といわれる時期に重なっており、1850年代まで基本的に寒冷な気候が続いたことが知られています。そういえば、オランダのブリュ-ゲルの「雪中の狩人」なんて絵がありますが、寒そうですね。ロンドンを流れるテムズ川も凍ったようです。隅田川も何回か凍結した記録があるそうです。だから飢饉も多かった。天明の飢饉が有名ですが、それ以外にもたくさんの飢饉に見舞われています。太陽活動が不活発な寒冷期だった訳です。
さて、今回は江戸の武士や町人の食事がどうだったのかについて若干ふれます。手元に雑誌「東京人」のかなり古い号に渡辺善次郎という人が平均的江戸市民の食事例をあげています。以下、引用をすると。
【下級武士-春】
朝- 炊きたての飯、豆腐のみそ汁、たくあん、梅干し
昼-茶めし、里芋・人参・こんにゃく・あぶらげの煮しめ、アサリとわかめの芥子あえ
夕- なんばんめし、ウドの汁
これは筆者も少しゼイタクな食事と思ってほしいと書いてますから、こんな日もあったかも知れないが、実際は朝はみそ汁にご飯くらいの日もあっただろうし、昼はタクアンだけという日もあった訳でしょう。「なんばんめし」とはネギを混ぜためしらしい。全体的には現在でも通用する食事という印象です。ただ、当時の下級武士や長屋の住民は月に3,4回の魚が食べられればいい方だったようだ。
【商家-冬】
朝- 炊きたての飯、小松菜のみそ汁、たくあん、
昼-冷やめし、八杯豆腐(豆腐を調味料と葛で煮付けた料理)
夕- 冷やめし、コハダと大根の煮付け
これは当時の商家の実際から見るとかなり豪華な食事でしょう。『幕末百話』には、朝はみそ汁のみ昼にたまに魚が安いときに魚がつき、夕飯は漬け物のみという記録がある。そちらの方が実態に近いでしょう。もちろん上級武士や大店の主人一家はもう少し上等なものを食べていたのでしょうが、武士階級は本来、質素倹約が美徳ですから将軍さまでもさほどぜいたくな食事をしていなったようです。
石という容積の単位がある。1合×10=1升、1升×10=1斗、1斗×10=1石です。つまり一石は1000合にあたります。今でも電気釜で2合3合という単位で米を炊きますね。
この一石が江戸時代ひとりの米の平均消費量(幼児から老人まで)の1年分という説もあります。ただ、激しい労働をする人たちは一日5合くらいは食べたという史料もあるそうな。いずれにせよ江戸の庶民は米をたくさん食べていたことは間違いなさそうです。たくさんのご飯を塩辛い漬け物やお茶を飲みながら食べていたイメージです。
一日三食、食べるようになったのは元禄時代頃からみたいで、それまでは2食だったようです。
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